[前頁へ△]

[目次へ]

[次頁へ▽]
 
 
 
                  ■224.fwr4×2/920923/津名町佐野   
 
 
 

 

 

 

 

 

 

 
  ■225.
 
 
    ■226.
 

 

 
 
 
fwr4×2
……………………………………………………………………………………………………No.6
 なぜこんなに藁まみれになっているのかわからないが、運転席しか見えていないfwrが、津名町の
山間部にある物置にうずくまっていた。
 この型は、なぜか津名町・一宮町・五色町等の北中部と、南部の南淡町に別れて分布する傾向がある。
 こういう形式の農民車が、かつて流行したことはすでに少し触れた(No.1参照)。それを踏まえたうえで
簡単に推測してみる。

 淡路全島に流行した後、エンジンが整備しにくいとか、始動に手間取る、後部が地面に
接触しやすいといった欠点が露呈すると、農民車の先進地である三原町・西淡町からは、より優れた
形式(cwf4×4など)にどんどん世代更新しはじめ、逆に後進地であるそのほかの地域に
生き残っている…のではないだろうか。あたかも、古い京言葉が周辺地域に流行し、それが
都でうしなわれた後も、かえって田舎でいつまでも残っている波及様式と似ているようだ。 
もっとも、この推測が当たっているのか確証はもてないが。
 例によって、先端のバンパー(?)部分の鉄板に、刻印が打たれている。
拡大してみよう。
                T355RB
                  822033

…とある。だれかこの刻印の謎を解いてくれないだろうか。過去の例と比べてみても、
なんの共通項もない。適当に打ってるのか?
  ■227.
 藁に埋まった様がカッコよかったので、下から撮ってみた。
 さて、この写真を見て「北太平洋の荒海を蹴立てて進む重巡高雄」を思い浮かべた人は、
私、近野と同じ感性を持つ人間だろう。ま、そんな人は滅多にいないだろうけど。