廃棄車両                                                       

…………………bR

 

       ■313./060312/津名町生穂札場

 

 このことは、前にもどこかで書いた事があるかもしれない。
 まったくなんの自慢にもならないのだが、私には農民車を見つける能力が人より長けているらしい。
いつだったか、地元に残った同級生の間で写真撮影が流行った時期がある。すでに写真による農民車収集を始めていた私が
その同級生一行と車で移動した折、私があちこちで草葉の陰に潜む農民車を発見しては車を停めて降り、遠い場合はテクテク
歩いていってカメラに収めるので、同級生達があきれかえってしまった。
「近野と行ったら前へすすまんでぇか」
…というわけで、私は早々にそのグループとは別行動をとることにした。
おたがいに遊びで気を遣っていてはしょうがない。もっとも、私は遊び半分に農民車を撮り集めているつもりはなかったが…。

 

 

 

 ■314.

 この農民車を撮影したのも私の秘めたる能力の成せる技といっていいだろう。
仕事の最中に気付いて、休日にあらためて撮影しにいったのだが、われながらこんな状態のものをよくもまあ見つけたなあ、と
感心してしまう。茶色く錆が全身に行き渡った車体は、腐りかけた材木や枯れ蔦、自転車や一斗缶と同化し、
見事な迷彩偽装になっている。空気の抜け切ったタイヤは枯葉の堆積物にさらにめり込み、車輪であることを隠している。
コンクリート製のポンプ小屋にくっつけるように放置されているので、向こう側からはまったく見えない。
ここは国道二十八号線のすぐ横なのだが、私自身も何十回もここを通過していたのにわからなかったのだ。
あまり来ないが、幸運というものはやはり来るものなのだ。

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 ■315.

 ところで、私がこの一連の写真を急遽公開したのは、くだらない自慢話をするためではない。
この型の農民車の出処がわかったのだ。
 実はここのすぐ向かいにいた農家の方が、撮影中に教えてくれたのだった。妙な物にレンズを向けている不振な男に
ちょっと声をかけておこう、というつもりだったのかもしれないが、興味深い話をしばらく聞かせてくれた。
 
 この農民車は、撮影地点から一キロほど北にある「野上自工」という自動車整備会社が造っていたらしい。
過去形であるのは、残念ながら現在は造っていないとの事からだが、とにかく三十年以上前〜昭和三十年代くらいに造られ始めたそうだ。
当時、津名町では急傾斜地を利用した果樹園が多く存在したが、そこでの収穫・運搬用にひろく使われていた。そのため、
農民車は比較的小型で車幅の狭いものが多く、私の撮影地点も一宮町・五色町・津名町が主に感じる。いずれも山間部の多いところだ。
 トップカーよりも積載量・速度にすぐれ、転倒しにくいこの農民車にはたくさんの発注があった。当初は
小型特殊免許すら必要なかったが、何年か前から役所の認可が下りなくなった。これは多分、PL法のできた影響だと思う。
果樹園の農家からは認可請願の声もあがったそうだが、軽トラックの普及や農家の高齢化と減少によりそれも立ち消えとなった。
ただ、いま(平成十八年)七十代より上の年齢の人達には、まだまだ重宝されている…という話だった。
 

 かつて、私は一度この農民車の持つ運転席床の曲線をベタボメしたことがある。→(fam4×2No.5
このページの農民車にも同様の曲線がみられるが、この曲線の意味が最近になって解けた。
「オールドタイマー」誌のバックナンバー、三十六号を購入してみたのだが、そこにスピードスプレイヤーという
葡萄畑に農薬を散布する巨大な、いやタンクローリーとしては超小型の農業車両が特集されていたのだ。
 そのスピードスプレイヤーは異様な形をしていた。なんというか、真っ赤なナマコかナメクジのごとく流線型のもので、
その丸ライト二灯の顔つきは「ひらけ!ポンキッキ」にでてくるガチャピンの頭そっくりだ。その頭がでっかい消火器みたいなのを
引っ張ってるトレーラーなのだ。消火器みたいなのはタンクで、そこから農薬が大量散布されるという機械なのである。
 とにかく、その流線型であるワケは、「果樹園の枝が引っ掛かりにくいように」という理由で、きちんと意図して造られていたのだという。
それに倣うわけではないが、そこから野上自工製の農民車が曲線の運転台を持つ意味がし推測できる。
要するに、果樹の幹を傷つけないように角を取ってあるのだ。そして、普通なら荷台幅いっぱいにとるべき「鳥居さん」が
ない車体が多いのも理解できる。鳥居さんがあっては大事な枝が折れるかもしれないからだ。
…このページにある農民車には鳥居さんがついているが。

 それともうひとつの謎が、車台前端部に打たれた刻印である。写真315.には、

  T34AD-
    008111-

というふうにあるが、上の段のT34ADという部分には、実は共通する車台があって、
まだ未公開の野上自工製fam4×2のなかに、T34ADがついている個体がずいぶんあったのだ。そして、
以前更新したページ(fwr4×2No.7)で、その基準や法則がさっぱりわからないと嘆いていた。しかし、
 T35 という頭の数字に共通点のある車台も、やはりある。この刻印は、錆や打刻が甘くて不鮮明だったりする場合もあるので、
読み取りにくいという事情もあったが、なんらかの法則があってしかるべき、というのが自然な見方だろう。ひょっとすると、
「昭和三十四年式」という意味での「TYPE 34」の略かもしれない。これはちょっと軍事マニアすぎる見方かもしれないが。

 ■314.
 ■316.
 ■317.
 ■318.

 話をうかがった六十代くらいのオヤジさんは、
「この農民車はもう動かんやろなあ」
と言っていたので、やはり客観的には、これを廃車と見るべきだろう。しかし、前述の「オールドタイマー」誌などを
購読していると、この状態でも立派に再生して動かせるようになるのではないか、と思ってしまう。
ああ、私に十分な時間と金さえあれば復活させてやるのに…。

 蛇足だが、下の写真318.のハンドル基部には、
 TOYOTA 84031
 MADE IN JAPAN

という文字が浮かび上がっている。詳しい人ならば、その車種がわかるだろう。

 野上自工は、いまも営業している。
 そしてその鉄骨スレート建築の工場のいちばん奥には、きわめて印象的な影が見える。
鳥居さんのない荷台前部にある運転席の背もたれ、そのてっぺんに溶接された二つのフック、その黒い影が(fwr4×2No.7参照)……。

前の道を通るとき、運がよければ確かにそれが見える。それは果たして、野上式農民車の最後の一台なのだろうか。
それとも、それは私の願望が描いた幻影なのだろうか。

 ◎おたけさんからの情報◎

このページを更新した二日後、おなじみのおたけさんから
掲示板に書き込みがあり、ハンドルは
昔のトヨエースのものであることが判明しました。
おたけさん所有の農民車にも同じハンドルが取り付けられているそうです。
また、野上式農民車は山腹から丸太を運搬するのにも
使用され、元祖である前田式農民車とほぼ同時期にうまれた
草分け的存在らしいです。
同時期とはいえ、使用目的からくる設計思想がまったく違うのは
おもしろい現象ですよね。
おたけさん、毎度ありがとうございます。

おたけさんへのメール

mailto:hfc02427@nifty.com